贅沢しているつもりなんてないのに
普通に暮らしているだけなのに
私たちがお金のやりくりで悩んでしまうのは・・
この「普通、平均」が、昔より底上げされているから。
ふと、そう思うことが増えました。
マイホームは高いし、いまや50年ローンまで出て
いったい何歳まで返済するの?
と、疑問に思うことばかり。
基準となる中間のレベルを、少し怪しんでみましょう。
これくらいは、という平均は
身の丈にあっていない可能性が高いんです。
平均レベルだと身の丈に合わない可能性が高まる
私は、基本的に支出って・・世間や他人と比較してしまうことで
大きくあがってしまうものだと、常々感じています。
以前、電気屋さんに足を運んだ時のことも書きましたが
だいたい、自分がこれくらいの予算でと決めていっても
一番グレードの高い機種がドーーンと目に入ってくるので
自分が買おうとしていたものが、ひどく下のランクに思えてくる。
世の中には、こういった錯覚が沢山仕込まれていることで
いつだって予算オーバーするようになっていると感じています。
そうです。
いつも、予算オーバー(笑)
あの機種に比べたら、これくらいの機種にした方がいいかなとか
周りの家のレベルに合わせて、これくらいの車でとか
贅沢しようとしているわけでは、ないんです。
でも、周りの影響を私たちは、強く受けていることで
相対的な支出が上がる流れになっているのが、世の中の流れ。
このことは、幸せとお金の経済学を読めばよく理解できます。
高騰する住宅価格と労働時間
まわりに遅れをとらないためにかかるコストをはかるための簡単な指標について説明します。平均的な世帯が子どもたちを平均以下の学校に通わせるのを避けるには、平均よりも高い支出をしなければならないことがわかります。1970年以降、負担は急激に大きくなりはじめ、2010年になると平均的な労働者が家族を平均的な価格の家に住まわせるためには、1970年のほぼ2倍働かなくてはならなくなりました。
住宅を購入すると、それに付随して出費が増えていくように
「何かひとつ」の基準に、知らず知らず合わせてしまうこと。
普通、平均
特別なことではないのに、これを参考にしてしまうことの
ちょっとした”怖さ”を感じずにはいられません。
比較で引きずられてしまう消費の流れを理解しておこう
私は、親世代と合わせることは非常に危険だと感じていたので
いつも”ひとまわり小さな暮らし”を心がけていますが。
そうしないと、普通に見える暮らしであっても。
いっぱいいっぱいになってしまっても不思議ではないことが
”地位財”と言われる物質社会で陥りがちなことだと思うんですよ。
地位財への消費については前回の記事で
何かと
誰かと
”自分を比較することは不幸のはじまり”
平均や普通に流されることなく。
本当に必要なモノは何か
意識していなくても、引きずられてしまう消費の流れを理解し
”よそはよそ”で生きていくことの必要性が高まってきています。
幸せとお金の経済学
ロバート・H・フランク (著),金森重樹 (監修)
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”非地位財”を軸にした持続可能な幸せを自分たちで確立する
どうしても、持ち物で判断する私たち。
世帯収入とか、どれくらいの大きさの住まいで、とか。
数字で何かをはかるのは、疲れるだけ。
ほんと、そう思いますよ。
がんばってこれらを維持しようと労働時間を増やすのではなく
まさにこれからは”非地位財”に価値を置くべきでしょう。
”非地位財とは?”
他人や周囲と比較することなく幸せな気分になるものが「非地位財」休暇、愛情、健康、自由、自主性。 非地位財による幸福感は濃密で長続きするのが特徴。
私の場合は、最近は・・・お菓子とパン作りですね(笑)
モノを手に入れたときの高揚感は、どうせ一瞬なので
これからは持続可能な幸せを大切にしていくつもりです。
自分たちの人生が、引きずられないように・・・
地位財からは、一線を置いて。
消費で競争しない生き方をしていきたいと思います。
ではでは。