「普通」という言葉には流されない。

「だいたいみなさんこれくらいは入ってますよ」
「これくらいは持っていて普通ですね」

なんていう、営業マンの殺し文句がありますよね?

でも、私はそういったモノには流されません。

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真面目に人に合わせない

最低限の世の中の常識は必要です。
(お葬式には喪服でいくなど)

でも、それ以外の他人が作った常識に関しては
無理をして誰かに合わせる必要性を私は感じていません。

ひとはひと、自分は自分。

家や車、教育や保険までも誰かの「普通」に合わせていると
いつしかお金が足りない暮らし
に陥ってしまうでしょう。

子供ができたら、これくらいの家に住んで・・
〇歳になったら、保険はみんなこれくらいは入るだろう。

みんなに合わせていたら安心?

本当にそうでしょうか?

・・・・そういう時代はもう終わっているずです。

これからは「自分に本当に必要なモノかどうか?」
個人で考えて選ぶ時代になってきています。

普通はあくまでも基準であって、合わせるモノでもなんでもないはず。

「他人と同じ」であることは、目指さなくていい

私たち一人一人は、まったく違う人格であるはず。

そのことを踏まえて物事を考えていくと
みんなが同じであることに私はとても違和感を感じます。

家にお金をかける人もいるでしょうし。
クルマが好きな人もいれば、旅が好きな人もいる。

それぞれに大切にしたいコトやモノが違うのなら
こだわるべきポイントに時間とお金をかけることはとても自然なこと。

でもそれなのに、私たちは「他人と同じ」でないと、と
不安にかられてしまうようになっていますよね・・。

これは日本の横並び意識の影響かもしれませんが
無理をしてこれらにすべて合わせることはないんです。

みんなと違っていてもいい

世の中のマナーは守るべきことですが
そうでない部分に関しては、みんなを基準に物事を考えません。

なんでみんな同じなんだろう?
と昔から疑問に感じることが多かったこともあり、
いまでは「他人は他人」で自分たちの基準で人生を決めるようになりました。

そのせいで、不安になることも増えるのかな?と思いましたが
逆に他人に合わせないことで、焦るということもなくなりました。

合わせないと、焦る。

こういう不安要素を、私たちはつかれてしまうのかもしれません。

それでは売り手側の思うツボ。

そこはひとつグッとこらえて、
自分たちに必要かどうかという目線で考えてみましょう。

常に誰かに合わせた視点で物事を考えない。
大切なのは、自分軸。

これからもこれを意識した中で、人生を選んでいきたいなと思います。

ではでは。